労働者の統制の歴史的変化

歴史を振り返ると、各時代毎に労働生産物に込められているも中心的な価値に変化があることが分かる。


例えば、高度経済成長期の生産物には「豊かさ」や「便利さ」などの価値が込められている。
この時代の労働生産物のトップといえば言うまでもなく「家電」だが、
三種の神器に代表されるように、家電は人々の生活を豊かにし便利にするための商品だった。
労働者は工場の中で文字どおり肉体労働に専念し、生活を便利にするためのモノを作り続けるた。


高度成長期が終わりを告げると、次は大量消費社会が訪れる。
この時代では、人々の生活はある程度豊かになっており、旧来の価値観を生産物に込めてもそれほど売れなくなってきてしまった。
そこで今度は、新しく色や形などのデザインを変えて生産物を「差異化」し、新たな需要を掘り起こしていった。
労働者は持てる感性をフルに発揮し、デザインやアイデアの産出に勤しんだ。


大量消費社会が一段落すると、次は現在まで続く長い経済不況が訪れる。
この時代では、大量消費によって環境を破壊したり、企業が腐敗したりしたことを反省し、
「エコ」や「社会的責任」など倫理的な価値観が生産物に込められるようになってくる。
労働者は、コンプライアンスを意識しながら、日々の仕事や生活を厳しく取りしまることを求められるようになった。


これらを整理してみると、労働生産物に込められている中心的な価値観は次のように変化していっているといえる。


①高度成長期  →利便性
②消費社会   →文化性
現代社会   →倫理性


この変遷を、「労働者の統制」という少し批判的な視点で捉えてみると、


①高度成長期  →利便性  →肉体を統制
②消費社会   →文化性  →感情を統制
現代社会   →倫理性  →精神を統制


という図式になる。


つまり、経済発展による労働生産物に込められた中心的な価値の変化は、
そのまま、生産によって労働者を統制する領域の変化に直結しているのである。


この図式で捉えると、時代を経るにつれて、労働による統制の範囲はより高次な領域へと及んでいっている。
労働による統制が精神にまで及んだ現代社会において、どのような問題が発生しているのか、
また、次の時代にはいったいどのような形式の統制が生まれてくるのか、などについては、
これから慎重に考えていきたいと思う。