「なんとなく」を捉えられないマーケティング

近所にある2〜3ヶ月前にオープンしたばかりのミニストップがいきなり閉店になってしまった。店の外には「50%オフ閉店セール」なんてポスターが貼られていて、定価売りが基本のコンビニが、閉店時にはバーゲンをするということを初めて知った。


そのミニストップは、道路から数段下がった、雑居ビルの「中地下1階」くらいに入っていた。この「数段下がる」という、造作もない行為が面倒で、「なんとなく」入る気がせず、数十メートル離れた別のコンビニの方に足が向かってしまうのである。


今回のスピード閉店は恐らく、私以外の人間も同様に「なんとなく」入りづらさを感じていた結果なのではないかと思う。段差に加えて、このミニストップの上の階にはキャバクラが何店舗か入っていて、夜間には黒いコートを着た客引きの兄ちゃんが2〜3人いたのも近寄りがたさを助長していたと思う。(残業で深夜帰りの時とか夜食を買いたくても、客引きされるのが嫌で近寄る気にならない。)


それにしても、天下のコンビニチェーン店が、何でこの程度の素人がパッと見て「なんとなく」嫌だなと思うような所に、わざわざ高い金をかけて店舗を建てたりするのだろうか?コンビニでは間違いなく新規開店のために事前に地域調査をしてマーケティングを行う部門があるはずなのに、いったい何をやっているのだろうと思う。


これは何もコンビニの立地に限った話ではない。つい先日これも近所で「焼き牛丼屋」が潰れた。「焼き牛丼」って、普通の吉野家とか松屋の牛丼と違いが分かりにくいし、料金も高いし、素人目から見ても「なんとなく」繁盛しないのではないかと思っていた矢先の閉店だった。


なぜ企業は素人目でも判断できるようなことでマーケティング判断を誤るのだろうか?


最近、「感性マーケティング」などという手法が提唱されているが、この手の手法は、「カッコいい」「カワイイ」「キレイ」「美しい」とか、そういう容易に言語化できる感性を追求するばかりで、もっと前の段階の「なんとなく嫌だな」「なんとなくパッとしないな」という、なかなか明確には言語化できない消費者の直感的な感性を上手くターゲットにできていないのではないか。


しかし、考えて見ればそもそもこういう「明確に言語化できない感性」は、容易に言語化できないゆえに、どんなことでも明確に言語化してプレゼンすることが求められる企業においては、見過ごされてしまうことが宿命づけられているのかもしれない。


マーケッターや新サービス担当者が社内のお偉いさんを相手にプレゼンする際に、「なんとなく」この場所はいい感じだと思うんですよね〜とか、「なんとなく」このネーミングはパッとしないと思うんですよね〜とか、言うのはまず不可能だ。かくして、「なんとなく」という重要な要素が、マーケティングから抜け落ちていく。


と、ここまでマーケティングの改善を求めるような意見を書いてきたが、もし改善されたら改善されたで、今度は企業側が、消費者の「容易には言語化できない感性」、つまり「無意識」に近い部分を操作し始めるということにもなりえるので、そうなったらそうなったで、今度はわれわれ消費者側が慎重に事態を把握した上で、賢く商品やサービスを選択していく必要があることは言うまでもない。